*****ジェイドとプラチナの場合。


「なんだか騒がしいな」
プラチナは見通しのいい執務室から外の様子を見下ろした。
3月と言えどもまだ肌寒い季節が続く。
その季節の中、窓の外からひときわ高い歓声が響き渡っていた。
いつもとどこか違う喧騒。
おそらく色めきたっている、と言う表現が近い。
「そうですね、ホワイトデーだからじゃないですか?」
そういえば…と、プラチナは日程表に目を移した。
もうそんな時期なのだ。
光陰矢のごとし。
忙殺されているせいか、世の中の行事をすっかり失念していたらしい。
「そうか…。そういえばそうだな」
「プラチナ様も貰っていましたよね」
一ヶ月前。
侍女からたくさんのチョコレートを貰った。
でもそれは…。
「お前が根こそぎ奪っていかなかったか?」
「奪ったなんて語弊がありますよ。プラチナ様は甘いものが苦手ですからねぇ。俺が代わりに処理して差し上げただけです」
ものは言いようだとプラチナはため息をついた。
処理と言う言葉がなんとも恐ろしく感じられる。
…夏炉冬扇とでも言たそうな、そんな様子のジェイドを見やり、プラチナは静かに口を開いた。
「お返しをしないとな…」
「そんな必要はないと思いますが」
ぽつりと言った言葉を耳聡く、ジェイドが拾い返し答えた。
鋭く強い言葉にプラチナは視線を上げた。
「王である立場から考えて無償の愛のお返しと言うのが妥当なんでしょうが、そんなのは到底不可能ですし。かといって物で返すとしても、プラチナ様がご自由に使える金はたかが知れてますからねぇ。それに全員なんて大変でしょう?」
「それはそうだが…」
プラチナはバレンタインデーにほぼ全員の侍女から受け取っていた。
それが本命なのか義理なのか。プラチナにはよくわからない。
貰ったものに対してお返しを返す習慣があるならば、返すのが当然なのだろう。
しかし、国費からその費用をまかなえるはずはない。かといって自分の自由になる金額はジェイドが言ったとおりである。
困惑した表情を浮かべているプラチナに、ジェイドはすぐさま言葉を被せた。
「ですから、俺が代表して受け取っておきますよ」
何かを言おうとする前に唇を塞がれた。狙っていたとしか思えない。
どうやらいつのまにか、ジェイドの思惑通りに誘導されてしまったようである。
素直じゃない参謀の背中に腕を回すことで、プラチナはその想いに応えた。


*****サフィルスとアレクの場合。


「ふぅ…ここの補強の必要はないようですね」
城の石垣を丁寧に確かめると、サフィルスはそれをメモに記載していく。
兵士から外壁の補強案が出ていたのだ。
「おーいっ、サフィー!」
「アレク様、どうしたんですか?」
自分を探していた、といった様子のアレクにサフィルスは驚きを含んだ声を発した。
乱れた息をしっかり整えてから、アレクは言葉を紡いだ。
「今日は何の日だか知ってる? サフィ!」
「え、今日は…」
突然何の脈絡もなくそう言われ、サフィルスの脳裏にスケジュールが走馬灯のように流れてゆく。今日は重要な会議や行事は予定にはっていなかったはずだ。
「何か重要な事件でも起こりましたか?」
自分の耳にもまだ届かない事態が起きたのだろうか。
そう感じ取ったのか、急に真顔になったサフィルスに慌ててアレクは頭を振った。
「違う、違う! 今日はホワイトデーだろ?」
「あ…」
「ほら、バレンタインにサフィに食べきれないほどのチョコ貰ったじゃん!」
料理に関していつも多く作りすぎるサフィルスだが、まさかそれがチョコレートにも反映されるとは思わなかった。
他人にあげようにも、サフィルスに「アレク様は私の愛が重荷なんですね…」云々と涙目で訴えられてしまえば一人で食べきるしかない。
愛が重荷と言うよりはチョコレートの量が重かった。
「ってことで! お礼! 今から遊びに行こうよ!!」
「え、でも執務が…」
「ちゃんと終わらせてきたよ」
「え、も、もうですか?」
年度が変わるこの時期、補正予算案など王として立ち会わなくてはいけない仕事が立て込んでいる。
最近は猫の手も借りたいほど忙しい日々なのだ。
「今日はバレンタインデーのお礼をするために、一日あけようって思ってさ。大変だったんだぞー。不眠不休で終わらせたってやつ? 知られないように陰でやるのも大変だったし」
にこっと笑ってアレクはサフィルスを見上げた。
天使のような微笑。
もう笑いかけてくれることすらないと…そう覚悟していたのに。
こうして話しているだけで、その姿を見つめているだけで、心が暖かいものに満たされていく。
あのときから変わらぬ姿。
しかし驚くほどその心は気高く美しい。輝きは日に日に増している。傍にいるだけで、自分の魂すらも癒されるほどに。
「今日しかないんだろ、ホワイトデーは!」
ぎゅっとサフィルスの手を取り、その瞳をまっすぐに見つめる。
思わず抱き返そうとした瞬間、アレクの体がぱっと離れた。
「ほら、行こうよ! サフィ!」
その気持ちだけで十分。そう思っているはずなのに心と身体は別物らしい。それを自覚してサフィルスは苦笑した。
「ええ、アレク様」
まだ今日は始まったばかり。
忘れられない一日になりそうだと、サフィルスは空を見上げた。


*****おまけ。


「…参謀殿はどちらにいらっしゃるんですか?」
部屋に入って開口一番。カロールは極めて不機嫌な声でベリルに尋ねた。
「うーん〜。アレクと一緒にデート中ってなんじゃないのかな」
カロールの声とは対照的にベリルは明るい口調で言う。
その言葉を聞き、ますますカロールの表情は曇っていく。
「アレクは今日の仕事を全部終わらせたみてぇだけど、あいつはそーじゃねーんだろ?」
ロードは一升瓶をぶんぶんと振り回している。
どうやらこの二人は昼間から酒盛りをしていたようだ。
いつもはサフィルスにきつく止められているのだが、今日は鬼のいぬまに、と言うことらしい。
「終わらせていたのならば、僕が今手を煩わせている必要はなくなるでしょうね」
サフィルスがいなくなったしわ寄せが、こうしてカロールにきていた。その現状に我慢できなくなり、文句を言いにきたのだが…仕事に追われているのはどうやら自分だけのようだった。
「うわ、機嫌悪くねーか!? お前」
「カロールは参謀殿にアレクを奪われて機嫌が悪いんだよねぇ」
じろりと帽子の下から殺気を感じる。それをもろともせずベリルは陽気に言葉を次いだ。
「あはは、冗談だよ、カロール」
「とにかく。参謀殿は自覚が足りなさ過ぎます」
ただでさえ激務が続くのだ。人の仕事まで負担していてはこちらの身が持たない。
「まぁ、後一時間もすれば帰ってくると思うけどねぇ」
「…え?」
ベリルの言葉が理解できず、そのままカロールは問い返した。
一時間。
なぜそういいきれるのだろう。
「そうそう。だって次は俺とデートだし?」
「その次は僕だね。で、最後は君だよ」
「…どういうことですか?」
「バレンタインデーのお返し、でアレクは動いているみたいだからねぇ。当然アレクにプレゼントした僕たちにもその権利はあるってわけだよ」
「知らないのはお前と参謀だけってやつだよ!」
豪快にロードが笑う。
「……そうなんですか」
ほっと安堵の吐息を漏らす。
てっきり振られたと。そう思っていたため不機嫌さも倍増していたのだ。
「そう、勝負はこれから、ってやつだねぇ。何も知らない参謀殿の仕事ぐらい手伝ってあげようじゃないか」
「…そうですね。はい。じゃ、僕、仕事に戻ります」
先ほどまでの仏頂面はどこへやら、すっかり機嫌を良くしたカロールはそう頭を下げると部屋を後にした。
残された二人はお互いの顔を見合し、笑いあうと、再び酒盛りを始めた。


この出来事をサフィルスが知るのはもうしばらく後のことになる。


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